皇娘・和宮の降嫁と引き替えに、徳川幕府は朝廷に攘夷決行を約束した。そして孝明天皇が攘夷祈願のために両加茂社に行幸することになり、14代将軍・徳川家茂が上洛、随行することになった。将軍の上洛は、実に229年ぶりのことであった。
次第に政治の表舞台は江戸から京都へと移り、過激な攘夷思想を持つ公家や志士たちが大きな力を持つようになる。その反動として起こったのが、「八月十八日の政変」だった。孝明天皇は強引に攘夷をすすめ、幕府との対立を深めていく長州藩のやり方に不信感を抱き、公武合体派の公家や京都守護職を勤めていた会津藩、そして薩摩藩を信頼した。政変で激派の公家や長州藩は京都を追われ、失地回復を目指した長州藩や激派の浪士たちは、地下活動を行った。それを「池田屋事件」で押さえ込んだのが、新選組だった。これがきっかけとなり、京都で起こった戦争が「禁門の変」である。
その後、犬猿の仲だった長州藩と薩摩藩が「薩長同盟」を結ぶと時代は大きく動いていった。徳川慶喜は「大政奉還」をおこなって、武力討幕派の動きを封じ込め、徳川勢力の温存に尽力したが、「鳥羽伏見の戦い」で旧幕府軍は朝敵となった。幕末の4年間、京都で政局はめまぐるしくゆれ動いたのである。
本展はこれらの事件・戦争の実像に迫る展覧会として企画構成した。企画にあたりご協力いただいた関係機関、個人の所蔵家に厚く御礼申しあげます。
平成23年(2011)7月吉日 霊山歴史館 |