霊山歴史館
HOME ご利用案内 霊山歴史観について 展覧会・行事 刊行物・グッズ
展覧会・行事
展覧会
維新土曜トーク
友の会ツアー
歴史教室
特別講演会
 
 
 
  トップページ / 展覧会・行事 /展覧会
 
           2015年通年特別展 松陰をめぐる人びと
         第3期「池田屋事件と禁門の変」
 
   
 元治元年(1864)、京都で相次いで起こった池田屋事件と禁門の変。これにより松陰の門下生 久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一らが奮闘の末、命を落としました。
 一方、新選組は両事件で名を馳せ、激動の幕末維新の表舞台に登場しました。
 第3期では松陰や長州藩の資料に加え、新発見を含む新選組の資料を多数展示し、その想いと行動に迫ります。


  
展覧会             2015年 通年特別展
          松陰をめぐる人びと
    第3期「池田屋事件と禁門の変」
期 間 2015年5月19日(火)〜9月6日(日)
休館日 月曜日(祝日開館、翌日休館) *7月22日~9月6日は全日開館
開 館
時 間
午前10時~午後5時30分
*7月25日~8月31日は、午前10時~午後6時30分
(入館はいずれも閉館30分前まで)
入館料 大人700円、高校生400円、小中学生300円
(団体料金-20人以上-は大人600円、高校生300円、小中学生200円)
友の会会員は無料(会員証提示)
優 待 クーポン券または本展チラシをご持参いただくと、上記団体料金でご入館できます。
【お願い】 開館日等詳細は変更になる場合がありますのでご来館前に当サイト開館案内カレンダーや電話でご確認ください。電話:075-531-3773

「池田屋事件と禁門の変」開催に当たって
 安政の大獄で江戸に送られた吉田松陰は、安政6年(1859)10月27日、江戸伝馬町獄で斬刑となった。30歳でその生涯を終えた松陰だったが、その遺志は松下村塾の塾生たちが引き継ぐことになる。松下村塾の俊英との呼び声が高かった久坂玄瑞は、長州藩の藩論を公武合体から尊王攘夷に変えるために尽力、また英国公使館を焼き討ちし、下関で外国艦船に砲撃を加えた。さらに真木和泉守らと、孝明天皇を行幸させて攘夷祈願を行わせたが、その反動もあり文久3年(1863)、8月18日の政変が起こった。長州勢は朝廷や京都から閉め出されたが、久坂は京都詰の政務座役として奔走し、失地回復を図った。
 元治元年(1864)6月5日、三条小橋の旅籠・池田屋で長州など志士が密議中に近藤勇率いる新選組が斬り込んだ。世にいう池田屋事件である。新選組二番隊伍長・島田魁の日記には「四条小橋のあたりにいる枡屋喜右衛門という人物が、実は元江州大津代官手代古高俊太郎という人で、長州人と同意しており、三百余人が正体を隠して三条大橋あたりの宿屋に泊まっていた。新選組の島田魁、浅野薫、山崎烝、河島勝司がこれを探索し、会津侯に知らせた」とある。
 古高が新選組に捕縛されると志士側の計画が露見し、新選組は探索中に池田屋で志士らが密会中との情報を入手し、近藤ら数名で突入した。志士側は肥後の宮部鼎蔵らが、古高の奪還計画などを話し合っていたが、「軽挙の儀は如何敷、後の害に相成るべく」と慎重論が大半であったという。宮部は吉田松陰と親しく、共に東北を遊歴をした仲であり、松陰が海外密航計画を宮部に打ち明けた時には刀剣を贈っている。この志士らの計画には、松陰の門下生だった吉田稔麿も参加していた。稔麿は新選組が突入した時、池田屋にはおらず、同志を救出するため長州藩邸から池田屋に向かう途中で会津兵に討たれたという。
 事件が起こる前、桂小五郎も長州藩邸から池田屋へ向かったが、到着した時に誰も来ていなかったため対州藩邸で囲碁に興じていると池田屋事件が起こり、難を逃れたという。そして長州藩は率兵上京して禁門の変が起こるが、長州藩は幕府側に惨敗し、久坂は自刃した。
 今回は、松陰や長州藩の資料に加え、新選組の新見錦(新家粂太郎)の新発見史料(京都府立総合資料館蔵)をはじめ新選組関連の資料を多数展示します。本展にご協力頂いた機関、関係者に厚く御礼申し上げます。
  
                               平成27年(2015)5月吉日    霊山歴史館
▲このページのトップへ
 
一覧ページへ戻る

 

このホームページの著作権はすべて霊山歴史館に属します。
Copyright 2011, Ryozen Museum of History, Japan
お問合せ トップ頁へ サイトマップ 関連サイト