【2024年春の企画展】
企画展「日米和親条約170年 ペリーと吉田松陰」が始まりました…皆様のお越しをお待ちしております。
【霊山歴史館 友の会】友の会についてのご案内、入会申込は以下のリンクよりお願いします。
*詳しくはこちら
2023.05.17
【企画展と常設展】
霊山歴史館は大きく以下2つの展示コーナーにより構成されています。
(2022年1月26日より)
■企画展
新しい切り口で人物、時代をとらえるテーマ展示コーナー。通常展示では見ることができない逸品も展示。
■常設展
倒幕・佐幕両派がともに活躍したここ京都で、幕末維新史を双方の視点から捉えるという考えに基づき、貴重な資料を常時展示しています。
詳細は⇒ 常設展
2022.01.26
【校外学習・修学旅行のみなさんへ】
皆さんから、よくある質問を下記リンクページにてご紹介しています。
学校関係者の方々も参考にしていただければと思います。
https://www.ryozen-museum.or.jp/guide/school/
2021.10.21
常設展
メイン展示では、坂本龍馬、新選組・幕府関連にスポットを当て、貴重な資料を常設展示しています。また、当館 初代館長・松下幸之助(パナソニック創業者)と霊山に関するコーナーも新設展示しました。
2022年1月26日~
日米和親条約170年 ペリーと吉田松陰
嘉永6年(1853)6月3日、ペリー艦隊4隻が浦賀沖に来航し、開国を求めました。
ペリーは砲艦外交で幕府にフィルモア大統領の親書受け取りを要求し、幕府はこれに屈して久里浜で親書を受け取りました。
1年間の猶予を取り決めましたが、ペリーは意表を突き、嘉永7年(1854)1月16日に再来航しました。
そして3月3日に日米和親条約が結ばれました。
吉田松陰は、師匠・佐久間象山(しょうざん、ぞうざん)の勧めもあって海外密航を決意し、弟子の金子重之輔と小舟で近づき、ポーハタン号に乗船を願い出ました。
しかしペリー提督の承諾を得ることはできず、下田奉行所に自首して伝馬町獄舎に投獄されることになりました。
約35点の史料で、ペリー来航や松陰の実像に迫ります。
日米和親条約170年 ペリーと吉田松陰 2024年1月24日(水)~5月12日(日)
講演会「~初心者向け古文書教室~ 坂本龍馬の手紙を読もう Part2」
米澤 亮介(霊山歴史館 学芸員)
霊山歴史館で展示した志士たちの詩書、和歌、書状などをもとに
「くずし字」を学ぶ教室を開催します。
今回は霊山歴史館で展示した坂本龍馬関連の史料のうち、『坂本龍馬 書状 岡本健三郎宛』(個人蔵)を読みます。龍馬が亡くなる一カ月前、慶応3年10月24日付で書いたもので、晩年の手紙の一つです。
古文書を読みたいと思われている初心者の方や、博物館学課程を履修している学生の方々を対象とします。
※古文書の読解依頼などは受け付けておりませんので、ご了承ください。
2024年04月13日(土)
講演会「大奥 篤姫と和宮」
木村 武仁(霊山歴史館 学芸課長)
江戸城には「大奥」と呼ばれる将軍家の正室や子女、側室も含む奥女中たちが住んでいた場所がありました。
奥女中はいわば幕府の女性官僚で細かな職制がありましたが、その最高位は上臈(じょうろう)御年寄で、大奥の実権を握っていたのは御年寄(御老女)でした。
御年寄は「表」の老中に匹敵する重職であり、老中と対面する時は双方が両手をついて同じ高さで頭を下げたといいます。
篤姫は13代将軍・徳川家定の御台所でしたが、作家の宮尾登美子さんが1984年に執筆された小説「天璋院篤姫」で有名になり、2008年のNHK大河ドラマ「篤姫」で広く知られるようになりました。
和宮は14代将軍・徳川家茂の御台所で、作家の有吉佐和子さんが1978年に執筆された小説「和宮様御留」が有名です。
大奥や篤姫、和宮の実像に迫る内容になっています。
2024年02月03日(土)
幕末維新ミュージアム
「霊山歴史館」のご紹介