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2019.07.02
5月15日より9月29日まで開催しているリニューアル特別展「激闘!! 新選組 ~池田屋事件から箱館戦争まで~」の見どころとなる資料を簡単にご紹介します。初公開資料も含め、臨場感あふれる新選組の資料を展示しています。詳しい解説は館内でご覧ください。
新選組の副長・土方歳三が実戦で使用した刀です。刀長が68.5㎝、反りは1.4㎝、直刃(すぐは)の刃文で戦闘に向いた実用刀になります。表には「大和守源秀國/秋月種明懇望帯之」、裏には「幕府侍土方義豊戦刀/慶応二年八月日/秋月君譲請高橋忠守帯之」と銘が切られています。 裏銘にある義豊は土方歳三の諱(いみな)で、諱とは亡くなった後に名乗る名前です。局長・近藤勇の愛刀「阿州吉川六郎源祐芳」(あしゅう きっかわろくろう みなもとの すけよし)と並べ展示しております。
永島孟斎(ながしま もうさい)画。明治2年(1869)版。
蝦夷共和国総裁の榎本武揚(えのもと たけあき)、副総裁・松平太郎(まつだいら たろう)、陸軍奉行・大鳥圭介(おおとり けいすけ)、土方歳三らが新政府軍と戦う姿が描かれています。土方は、右面の徒歩で戦いながら敵を斬り下げている人物になります。土方が描かれた、数少ない錦絵になります。輸入した「アニリン染料」が多用された毒々しい赤色が特徴的で、「赤絵」と呼ばれました。
新選組二番隊伍長・島田魁(しまだ かい)の遺品の1つで、慶応元年(1865)6月頃の隊士名簿です。隊士名の下の丸印は、新選組から離脱した御陵衛士(高台寺党)の伊東甲子太郎(いとう かしたろう)一派を示す印になります。
新選組に在籍した隊士の名前がわかる、貴重な資料です。
島田魁が箱館戦争で降伏した後に記した記録で、新選組の軌跡をたどるうえで非常に貴重な資料です。
日記は2冊あり、1冊目は文久3年(1863)の14代将軍・徳川家茂上洛から始まり、会津戦争での大敗、蝦夷地への敗走までを記し、2冊目は慶応4年(明治元年)8月の奥羽戦争から、翌年に箱館戦争で降伏するまでが記されています。
松本良順は幕府の医官で、新選組の人々とも交友があり、明治維新後は大日本帝国陸軍の医師になりました。その良順が54歳の年に描いた、鍾馗の絵と詩になります。鍾馗とは元々、中国の道教系統の神で、日本では疱瘡(ほうそう)除けや学問成就にご利益があると言われ、古来より信仰されてきました。また魔除けの効験もあるとされ、屏風や掛け軸にその姿を描いて飾ったり、京都をはじめ屋根の上に像を乗せる地域もあります。
早川松山画。文久2年(1862年)8月21日に起こった生麦事件の様子を描いた有名な錦絵である。明治10年1月に出版された。
いずれも、歴史的価値の高い資料です。ぜひご覧ください。
なお、開期中には、7月14日に講演会「マンガ、アニメで見る幕末や新選組」や、8月3日と8月10日に「子ども歴史教室」を予定しています。こちらもぜひご参加ください。