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企画展『飛耳長目 吉田松陰と松下村塾』見どころ紹介

2022.10.09

黒船に向かう松陰たちを描く

『版画 吉田松陰 幕禁を犯して米艦を訪う』

松陰は西洋事情を知るために、命の危険を冒し海外密航を計画します。そして嘉永7年(安政元年・1854)3月27日、再来航したペリー艦隊に門弟・金子重之輔と乗り込もうとしました。ところが「日米和親条約」の締結直後だったこともあり、アメリカ側は密航者の乗船を拒否します。結果、計画は失敗に終わり、松陰は長州の野山獄に投獄されました。

獄中でまとめた松陰たちの和歌

『吉田松陰 冤魂慰草(えんこんいそう)』(川本文庫 蔵)

安政2年(1855)、松陰が野山獄に投獄されていた時、同志と折々にうたった俳諧をまとめたものです。獄中では、寺子屋の師匠だったという花廼屋(はなのや)こと吉村善作が最も俳諧をよくし、松陰は彼の手ほどきを受けています。

村塾の双璧・高杉晋作が記した帳面

『高杉晋作 所用駄賃帳』(川本文庫 蔵)

安政5年(1858)7月18日、高杉は文武修行のため東遊を命ぜられ、同
20日、松下村塾の同窓・山県半蔵(のちの宍戸璣。子爵)に従って旅立ちます。
本資料はその道中に記した出納帳で、高杉の豪放ばかりではない几帳面な一面
を見てとれます。

維新の元勲・木戸の書状を初公開

『木戸孝允 書状 宍戸璣(たまき)宛』

本資料は木戸孝允が同じ長州藩出身の宍戸璣(山県半蔵)へ送ったもので、『木戸孝允文書』にも収録されていない貴重な書状です。文中、木戸は体調の不調を報告しています。

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リンク https://www.ryozen-museum.or.jp/exhibition/2022/hijichomoku01/