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企画展『幕末土佐のいごっそう 龍馬と土佐勤王党』見どころ紹介

2022.12.13

初公開‼山高帽をかぶった坂本龍馬

『切り絵 ある日の龍馬』

切り絵アーティスト・百鬼丸氏が作品『ある日の龍馬』を、この度、霊山歴史館にご寄贈いただきました。「小説の挿絵には高杉晋作や西郷隆盛と同様に、何回か龍馬を描いております。絵描きの意地で、写真や代表的とされる絵は参考にしつつ、つい違う顔向きの絵を描こうとしてしまいます。龍馬が山高帽を被っていたという史実はありませんが、洒落気が強い龍馬ですので、山高帽を被せました。」(百鬼丸氏のコメント)

土佐勤王党を率いた盟主の姿

『武市瑞山 肖像画(たけち ずいざん しょうぞうが)』

土佐出身の志士を数多く描いた画家・公文菊僊(くもん きくせん)が描いた武市瑞山の肖像画です。武市は「春雨じゃ濡れていこう」の名セリフで有名な『月形半平太』のモデルにもなった人物で、長身で容姿端麗、文武両道の秀才でした。

天誅組の三総裁の一人

『吉村寅太郎 脱藩時の詩書』(旧 養正社史料)

文久2年(1862)2月、土佐藩の吉村寅太郎は長州を訪れ、長州藩士・久坂玄瑞と会談します。吉村は久坂の「国を変えるには、藩にこだわらず挙兵するしかない」という思想に感化され脱藩を決意しますが、武市瑞山は土佐勤王党による 一藩勤王を唱え反対します。しかし吉村は脱藩を強行、本史料は、その時の心境を詠んだものです。

戦闘の凄惨さを物語る

『那須信吾 戦死時の遺品』(旧 養正社史料)

血染めの小旗、草鞋(布製)、弾丸、胴乱。天誅組の大和挙兵の際に、土佐出身の那須信吾が所持していた遺品です。那須は決死隊隊長として彦根藩の本陣に斬り込み、彦根藩分隊長・大館孫左衛門を槍で突き倒し、強行突破しようとしたところを、一斉射撃を受けて亡くなりました。しかし決死隊の奮戦により、主将の公家・中山忠光を逃がすことに成功し、本分は果たしました。

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⇒リンク https://www.ryozen-museum.or.jp/exhibition/2022/bakumatsutosa01/