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企画展 『幕末タイムトリップ 激動の160年前へ』見どころ紹介

2023.04.04

天皇と将軍の対面 歴史的瞬間へ向かう

『錦絵 京都上洛将軍二条城出門之図』

 東洲勝月画。14代将軍・徳川家茂は、孝明天皇の攘夷祈願に随行するため、文久2年(1862)12月13日に江戸城を出発し、翌年の3月4日、京都二条城に入りました。将軍上洛は、3代・徳川家光以来、229年ぶりのことでした。 この錦絵は、3月7日に家茂が二条城を出発し、孝明天皇に拝謁するため御所に向かう行列を描いたものです。

新選組の前身 浪士組について書かれている日記

『文久三年亥年 見聞日記』(旧 武溪文庫、部分)

筆者不明の日記で、冒頭に文久3年(1863)、清河八郎率いる幕府浪士組が上洛したことが書かれています。浪士組の主だった人物として、喜代川(清河)八郎、池田徳太郎、常見一郎、新見錦、根岸友山、徳永大和、片山庄左衛門、馬場兵助、井上源三郎、沖田林太郎の名が記載されている一方、芹沢鴨や近藤勇、土方歳三の名は書かれていません。

京都を追われる七人の公家

『七卿落ちの図 塩川文麟 画』(拡大)

文久3年8月18日、「八月十八日の政変」が起こり、三条実美ら七卿は雨の中、長州勢2500名と共に長州へ落ち延びました。 先頭で槍を持つ武士が久坂義助(玄瑞)、提灯をさげる鎧の武者が真木和泉守、その後の公家は三条実美です。長刀をかつぐ人物は平野国臣ですが、史実ではこの時、平野は天誅組を制止するため大和五条(現 奈良県五條市)へ向っていました。

獄中、こよりでつくった和歌

『平野国臣 紙捻(こより)文字和歌』

脱藩後、国事に奔走していた平野は、文久2年に参勤途中の福岡藩主・黒田長溥(ながひろ)を大蔵谷(現 兵庫県)に訪ね、「江戸へ行くべきでない」と進言します。その進言通り、長溥の行列は引き返し、平野も付き従って福岡へ入りますが、捕えられて約1年間獄に投ぜられました。
当時の獄則では、獄中での筆硯の使用は許さなかったので、苦心して自ら紙縒で文字を作り、和歌を記しました。

煌びやかに描かれた孝明天皇の行列

『加茂行幸図屏風』(左)

中島有章筆。文久3年(1863)3月11日、攘夷祈願のため両加茂社に行幸した孝明天皇と、それに随行する公家や大名の姿が描かれています。孝明天皇は鳳輦(ほうれん)という乗り物に乗っています。

初公開‼克明に記された戦闘の様相

『薩英戦争日記』

 文久3年7月、前年に発生した「生麦事件」の賠償問題に端を発して、薩摩藩とイギリスの間で戦闘が勃発しました。世に言う「薩英戦争」です。薩摩藩はイギリス軍の旗艦を撃破するなど奮戦しますが、砲台に大きな損害を受け、また城下の一部も焼失し、西洋の軍事力を見せつけられます。本史料は、風雨の激しいなか砲弾の応酬があったことなど、戦闘の様子がつぶさに記されています。

幕末タイムトリップ 激動の160年前へ
https://www.ryozen-museum.or.jp/exhibition/2023/bakumatsutime01/