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2024.08.03
必見‼新選組の歴史をつづる新選組の歴史がつづられた日記で、上巻と下巻があります。「箱館戦争」まで旧幕府軍に従軍した新選組隊士・島田魁が降伏後の謹慎中に記しました。
上巻には、「長州人(略)三百余人姿ヲヤツシ三条大橋辺ノ宿屋ニ泊リ居ル。当組島田、浅野、山崎、川島是ヲ探索シ、会津侯へ達ス」と、島田をはじめ浅野藤太郎(薫)、山崎丞、川島勝司という新選組の探索方が、池田屋事件の直前に動いていたことが記載されています。
古高は近江国(現 滋賀県)の出身で、尊攘活動に奔走し、薪炭商・桝屋喜右衛門と称して志士の活動を支えていました。しかし元治元年(1864)6月5日の早朝、新選組に捕まります。池田屋事件は、浪士らが捕縛された古高の奪還計画を池田屋で練っていて発生しました。
維新後、古高は霊山墓地に合祀されました。本史料は、合祀を願う際に提出された願書の下書きで、古高の履歴や長州藩との関係も記されています。
京都の書店主・西川耕蔵が、同窓の行方正言(なめかた まさこと)へ送った書状です。西川は池田屋の会合に参加していた志士の一人で、新選組が踏みこんだ際には脱出しますが、のちに捕らえられて六角獄舎で亡くなりました。
西川は「安政の大獄」で捕縛されて亡くなった儒学者・梅田雲浜の弟子です。
雲浜の業績を顕彰する碑を、墓所である京都東山の安祥院に建立するという話が出た際、撰文にあたりました。
本書状では、その撰文の添削を、西川の高弟だった行方に依頼しています。
「禁門の変」における新選組の活躍に対し、幕府から京都守護職の松平容保(かたもり)、そして新選組へ送られた感謝状です。島田魁の遺品の一つ。
文中、「多人数討取候段、巨細達御聴候」と、新選組の活躍が14代将軍・徳川家茂の耳に入っていたことも記されています。
慶応元年(1865)6月頃に作成された隊士の名簿で、島田魁の遺品の一つ。約150名の隊士名と出身地が記載され、最後に芹沢鴨一派など粛清された者たちの名前が加筆されています。
また、一部の隊士の名前の下に丸印がありますが、これは新選組から離脱した 御陵衛士(高台寺党)の伊東甲子太郎一派を示しています。
「日本資本主義の父」と称される渋沢が、親交のあった和洋紙問屋の中井三郎兵衛へ送った漢詩です。
世界中を旅する中で、「真心で接して、多くの人の厚情にこたえたうえで 帰国することになり、喜ばしいかぎりだ」と書かれています。