2024年春の企画展 日米和親条約170年 ペリーと吉田松陰

 嘉永6年(1853)6月3日、ペリー艦隊4隻が浦賀沖に来航しました。ペリーの目的は「日本の開国」で、「遭難したアメリカ人船員の保護」、「薪や水、食料補給のための港を確保し、石炭の貯蔵所を設ける許可を得る」そして「通商」でした。
 ペリーは砲艦外交で幕府にフィルモア大統領の親書受け取りを要求します。幕府はこれに屈し、久里浜で親書を受け取り、1年間の猶予を取り決めました。
 ペリーは翌年に再来航することを告げて日本を離れましたが、香港で12代将軍・徳川家慶が亡くなったことを知ります。そしてその混乱の隙を突こうと、嘉永7年(1854)1月16日に浦賀へ再来航しました。
 2月10日、ペリーは将兵を率いて横浜に上陸し、4回の会談がおこなわれ、3月3日に日米和親条約が結ばれました。
 吉田松陰は、師匠・佐久間象山(しょうざん、ぞうざん)の勧めもあって海外密航を決意します。象山は、西洋の先進文明を学ぶために留学生の派遣を主張していました。
 3月27日、松陰は弟子の金子重之輔と小舟で漕ぎ出し、ポーハタン号に乗船を願い出ます。
 松陰はアメリカ行きを懇願しましたが、通訳のウイリアムスに拒否され、ペリー提督の承諾を得ることはできませんでした。そして下田奉行所に自首し、伝馬町獄舎に投獄されることになります。
 約35点の史料で、ペリー来航や松陰の実像に迫ります。

  • 企画展

    日米和親条約170年 ペリーと吉田松陰

  • 期間

    2024年1月24日(水)~5月12日(日)

  • 休館日

    月曜日
    *但し*但し2月12日(月)、4月29日(月・祝)、5月6日(月・振替休日)は開館、2月13日(火)は休館致します。

  • 時間

    10:00~17:30(入館は閉館30分前まで)

  • 入館料

    大人900円、高校生・大学生500円、小中学生300円
    団体料金(20人以上)は各100円引き
    友の会会員は無料(会員証提示)