「海援隊と新選組」
坂本龍馬は、慶応元年(1865)、長崎に亀山社中を結成し、薩摩藩と長州藩の和解のために貿易を行った。そして慶応3年(1867)には海援隊の隊長になる。
一方、文久3年(1863)、幕府の浪士組が京都に入った。その一部が京都に残留して壬生浪士組を結成し、八月十八日の政変に出動した功績で朝廷から新選組の隊名を授かる。
海援隊と新選組は、非常に先進的な団体だった。両者から見た幕末史にスポットを当てる。
「海援隊と新選組」
9月9日(水)〜2021年1月24日(日)
月曜日(祝日開館、翌日休館)
※9月22日(火)は祝日につき開館。
9:00~17:30(入館は閉館30分前まで)
大人900円、高校生・大学生500円、小中学生300円
団体料金(20人以上)は各100円引き
友の会会員は無料(会員証提示)
開館日等詳細は変更になる場合がありますのでご来館前に 開館案内カレンダーや電話でご確認ください。
電話:075-531-3773
坂本龍馬は、慶応元年(1865)閏5月頃、長崎に亀山社中を結成しました。亀山社中は会社で、政治結社でもありました。
そして薩摩藩と長州藩の和解のために貿易を行います。龍馬は慶応3年(1867)4月には海援隊の隊長になります。亀山社中は薩摩藩の庇護を受けていましたが、海援隊は土佐藩の外郭団体でした。
新選組に話を移すと、文久3年(1863)2月、幕府の浪士組が京都に入りました。その一部が京都に残留して壬生浪士組を結成し、京都守護職のお預かりになりました。壬生浪士組は、八月十八日の政変に出動した功績で朝廷から新選組の隊名を授かります。そして京都の治安維持に活躍しました。
海援隊と新選組は、非常に先進的な団体でした。両者から見た幕末史にスポットを当てます。
2020年9月
幕末維新ミュージアム 霊山歴史館
※映像資料『龍馬と大政奉還』