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企画展 『結成160年 新選組奮戦録』見どころ紹介

2023.08.08

①隊士が記した新選組の歴史

『島田魁日記 上巻』

新選組隊士・島田魁が、「箱館戦争」降伏後、謹慎中にしたためた日記です。
上下巻あり、上巻は文久3年(1863)の将軍・徳川家茂上洛から慶応4年(明治元年=1869)に蝦夷地へ渡るまでの事柄が記述されています。 文中、「同八月十八日長州人引揚ノ節、当組(壬生浪士組)南門前ヲ守ル。其節傳奏ヨリ新選組ノ隊名ヲ下サル」との記載があります。傳奏とは幕府と朝廷の連絡役を務めた武家伝奏を指しますので、新選組の隊名は「八月十八日の政変の活躍により朝廷から賜った」という意味になります。

②新選組へ贈られた感謝状

『池田屋事件 感状』

新選組に与えられた「池田屋事件」の感謝状です。禁門の変の後に京都守護職・松平容保経由で新選組へ渡されました。 文面に「悪徒共討留召捕、抜群相働」、「上様ニも御満悦」とあり、上様つまり将軍・徳川家茂にも事件の詳細が伝わっていたことがわかります。

③母へ別れをつづる

『入江九一 遺墨和歌』

入江九一(1838~1864年)は萩城下に住む足軽・入江嘉伝次の長男で、吉田松陰の松下村塾で高弟に数えられた秀才でした。文久3年(1863)6月、高杉晋作の奇兵隊創設に携わり、翌年の「禁門の変」に参謀として参戦します。そして公家の鷹司邸内で久坂玄瑞らと幕府軍を相手に戦い、重傷を負って自刃しました。本史料は、母へ別れを告げる和歌がしたためられています。

④必見‼新選組に在籍した隊士の名簿

『新選組英名録』

新選組二番伍長・島田魁の遺品の1つです。 慶応元年(1865)6月頃の作成で、約150名の隊士名と出身地が記載され、最後に芹沢鴨一派など新選組に粛清された人々の名前が加筆されています。 一部隊士の名前の下に丸印が見えますが、これは新選組から離脱した御陵衛士(高台寺党)の伊東甲子太郎一派を示しています。

⑤猛々しく指揮を執る

錦絵 近藤勇驍勇(ぎょうゆう)之図』

月岡芳年画。「戊辰戦争」の最中、近藤勇率いる甲陽鎮撫隊が、甲州勝沼にて乾(板垣)退助率いる東山道鎮撫総督府の軍(新政府軍)と戦う様子を描いています。 中央に描かれた人物が近藤で、山門は大善寺(現 山梨県甲州市勝沼町)のものになります。毅然とした近藤の姿が描かれていますが、戦いは兵数や装備で劣っていた甲陽鎮撫隊の敗走に終わりました。

⑥新選組局長の最期

『近藤勇 晒(さら)し首』

下総国流山で投降した近藤勇は、慶応4年(明治元年=1868)4月25日に江戸の板橋で処刑され、首は閏4月8日に京都へ送られ、三条河原に晒されました。本史料は土佐藩の岡本健三郎が描いたといわれる首の図で、土佐の料紙に描かれています。岡本は坂本龍馬らの殺害(近江屋事件)直前まで近江屋にいた人物で、下横目(下級警察官)という職に就いていました。

結成160年 新選組奮戦録
https://www.ryozen-museum.or.jp/exhibition/2023/shinsenngumi_01/